ハルコのハワイ探し
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かみきれる「れいめん」
2009-11-28 Sat 22:50
ぼく、かみきれない「れいめん」すきじゃない (かみきれる....って、へんな、にほんごですね)

でも「ゆっちゃん」の、「れいめん」は、かみきれる!!!

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「くず」で、できてる「れーめん」だから、からだにもいいよ~。

こーりの、つめたい、しゃりしゃりの、さっぱりすーぷかけて.....(ジンジャーとニンニクのあじがする)

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めんは、はさみできって.....もらって.......いっただきまーーーーーす!

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ハルコは、めずらしく、からくないの、たのんだ。おなか、わるいのかな?

DSCN0867.jpg

ぼくの、からいけど、たべちゃったから、きたないね、ごめんなさい。
でも、ごまあぶらがはいってて、Yummmmy!! だよ!

DSCN0875.jpg

たかいのか、やすいのか、よくわかんない、けど、おいしいし、からだにいいからOK!

「カムサムニダ~!!」 あれ、ここ、ハワイ、だよね??

Yu Chun Korean Restaurant
1159 Kapiolani Blvd., Honolulu
営業時間:10:00~22:00
TEL: 589-0022
www.yuchunhawaii.com
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是空=Zekoo の意味
2009-11-14 Sat 15:28
Zekoo Hawaii の「是空」って、どういう意味なんですか?と、良く聞かれるので、
今日はディープにその意味をご説明したいと思います。

ただ、私では説明しきれない事ばかりなので、かなり長い講話文を引用します。
興味がある人だけ読んで下さいね。
(ワタクし、怪しい宗教団体のものでは有りませんので、ご心配なく!(爆笑)

是空の意味を捉えてから、ハワイの自然に触れると....
                 今までとは違うハワイに出会えると思います......。

*****************************************

縁起(えんぎ)と 空(くう) ・般若心経(はんにゃしんぎょう)講話・
講話 桐 山 紘 一

般若心経の主題である「空」についてお話します。

まず般若心経の書を、声をそろえて読んでみましょう。これを何回も読誦していくと、
いつの間にか意味が解ってきますし、般若心経の命であ「空」の本当の意味が納得されて
くると思います。
教本の持ち方は、教本の真中に両親指を入れて、合掌するようにして目の高さまで持ち
上げます。次ぎに顎を引いて坐禅と同じ姿勢になり、目を据えて腹の底から声を出して
朗々と読誦(どくじゅ)していきます。読誦する時は全てを忘れて徹底して読誦する。笑う
ときは徹底して笑う。食べるときは徹底して味わって食べる。教本の持ち方一つ、お教の
読誦の仕方一つ、そのものになり切て行うのが禅です。
このように読誦することを身読と言います。教典の読み方は身読することによって、
理解は後から自然についてくるような読み方が良いと思います。

○魔訶般若波羅蜜多心経
 「魔訶」というのは、「大いなる」という意味です。サンスクリット語で「マッハー」
ロケット等の速さの単位を「マッハ」と言いますが、元の意味は「非常に大きな」とか
「偉大な」ということです。「般若」というのは「智慧」。パリー語で「パンニャー」と言います。
サンスクリット語では「プラジュニャー」。プラチナ(洋銀)と言う金属がありますが、
本来の意味は「知慧」のことです。
 「波羅蜜多」は、パリー語で「パーラミター」と読むのだそうですが、「完成」ということ。
「心」とは「核心」とか「心髄」と行った意味です。まとめると「大いなる智慧の完成をする
核心の教え」ということになります。

○五蘊皆空を照見して一切の苦厄を度し給えり。
五蘊というのは色・受・想・行・識、人間の感覚とか、物とか、ありとあらゆる現象とか
そういうもの一切合切含めて、「空」であると徹見したのです。
 「修行」することと「空」ということが、ここで同時に説かれていることは重要だと思います。
つまり「空」と言う言葉や概念をいくら分析してみても何も出てこない。
「空」というのは「行」と一つになって初めて現わとなり捉えられる、という真実をここで強調
しているのです。「行ずる時に」のその状況が「空」であると言っても良いと思います。
そうして「一切の苦厄を度し給えり」一切の苦しみ(四苦八苦)を越えてしまったと
言うわけです。「空」というのはそれほど偉大な力がある訳です。「舎利子よ!」例えば、
私は桐山という名前ですが、「桐山よ!」こういう風に自分に呼びかけていると思って読むと
良いと思います。

○色はそのまま是空、空はそのまま是色
色だけでは色は成立しない。空を通して色が解る。色を通してまた空が解る。色は空で
あって、空は色である。言葉面だけ見ていると、何を言っているのかよく解りかりません。
非常に難しいと言えば難しい、ある意味では簡単でもあるということですが、
この事が解ったら、仏教の全てが解ったと言っても良いと思います。
色とは何かというと、ありとあらゆる物、テーブルも畳みも、私達の肉体も、髪の毛も、
雨も大地も地球も、宇宙ありとあらゆる物、また形の無いさまざまの現象、人間の精
神作用まで含めた全てを色と言います。そういう全てのものが空だというわけです。
空の表面的意味は、「虚ろで中がからっぽ」ということで、何も無いというような意味ですが、
それはいったいどういうことでしょうか。「色はそのまま空」「空はそのまま色」というのは、
つまりテーブルがからっぽで、からっぽがテーブルだ、そういうことを言っているのですが・・・。
全ての実在(色)は無(からっぽの空)を媒介にして、新たに蘇って真の実在(真空)
となっているのですが、このように有・無を越えたところに働く実在を「真空」と呼んで、
からっぽの「空」と区別して考えたいと思います。AはAで無くしてAであるという鈴木大拙氏の
「即非」の論理はこの状況を説明したものです。

○空(くう)としての縁起(えんぎ)
私ごとで、まことに恐縮ですが、曾て何日か続けて坐禅をしたことがあって、そのとき、
般若心経をとにかく読んでみようと、坐禅スタイルで何十回も読誦したことがあります。
声が出なくなると、また坐禅をしたりしていました。その時に気がついたことがありました。
「空」ということはこういうことなのかと、よくよく納得したと思うことがありました。
「空」というのは、 「何も無いことなんだけれど、無いということでも無い。
ありながら無いということだ。」 ということが解ったのです。
つまり「空」の背景に連綿と広がっている「縁起」と言うことに気がついたのです。
別の言い方で「因果」という言葉もありますが、同じ意味だと思います。お釈迦様の教えは
「縁起」の教えだと言われているくらい、重要な概念なのですが、それはどういうことかというと、
Aが在るからBが在る。Bが在るからCが在る。例えば親がいるから子供が生まれる。
子供が生まれるから、おむつを買わなくてはいけない。おむつを買わなくてはいけないから、
お金がかかる。こういう原因と結果によって、ズーッと流れていく。そういう状況を「縁起」
と言っても良いと思います。例は良くありませんが、そういう「縁起の法」によって、
全ては「空」であるということに気が付いたのです。
 「縁起」は、一種の「法則」とも言えます。光などが発生すると、規則正しい法則の波動で
四方八方に伝わっていく。また物質は絶えず変化していく、たとえば酸化していく、溶けていく、
結晶していく等、一つとして常住な物はありません。
このように色々な現象が複雑に絡みあって、物質が絶えず一定の法則にしたがって変化
していく。つまり「色」として固定したものは無い、あるのは働きとしての法則「縁起」
だけしか無いということです。これは人間の意志に拘わりなく、絶えず働き通しに働いて
いるのです。勿論人間の意志や、感情などの精神作用も、全て縁起として働いていると言
えます。

○仏教の科学性
 「実在は流転してしばらくも留まることのなき出来事の連続である。」 これは西田幾
多郎先生の言葉ですが、働きとしての縁起を端的に言い表していると思います。
そこまで納得できると、「色はそのまま是空」という、「色」としての「空」が蘇ってきます。
先にその空を「真空」と呼びましたが、そのような立場に立つと、結局「空」と言っても
「色」と言っても、同じ事の両面に過ぎないということが、はっきりしてきます。
ここにテーブルが在ると思っていますが、これは一つの縁起のポイントであって、ナイ
フで削れば塵になってしまいます。あと百年もすれば無くなってしまうかも知れません。
ただ何らかの物質がここに集積して、たまたま一つの形ができているだけであって、
テーブルと言う固有の本体はない。あるのは順序よく、しかも間違いなく流れている
「縁起の法」があるだけだと言うことです。縁起の法があるから、全てのものは実体がなく
空であるという訳です。「色はそのまま是空」ということです。
我々の生命もそうです。命は、前述のような簡単な言葉では割り切れない非常に複雑な
関係で、宇宙と共に生成発展してきたものですが、とても人間の科学では分析できない
素晴らしい働きや、現象の総合的な営みです。
命の営みがこの宇宙に生まれた瞬間、そして少しずつ形成されていく過程、そういうものは、
みな我々人間の意志で行われているものではなくて、そういう法ですね。キリスト教では、
それを「神の創造」として全てを神に委ねています。ところが仏教では全ての現象は、
必ず原因と結果があるという「縁起の法」として捉えています。ことばを変えて言えば
「ありのままの事実」として捉えるわけです。これを仏教の科学性と呼びたいと思います。

さて、どこからその法が流れ出したかというと、約150億年前、ビックバーンがあって、
そこから光の波動となってすべてが発生してきました。我々の生命活動も全て、光の波動
だと言っている学者もあるくらいです。そして約50億年前にようやく地球が誕生し、
そういう縁起の法によってそこから連綿と連なって、それら全てを背負った最先端が
今の「私」・「ここ」というわけです。

○空間的広がりとしての縁起
縁起の法には、今まで述べてきたような時間的な縁起があります。それからもう一つは、
空間的な広がりとしての縁起があります。
空間的な広がりというと、例えばここに紙が在る。この一時点だけを見ていると、紙が
在っても別にどうということはないが、ここに紙を在らしむるためには、空気がないと存
在しない。またここにテーブルが無いと存在しない。テーブルがここに在るから、紙がこ
こに在る。そういう依存関係としての縁起です。テーブルがここに在るためには、下に床
がないと存在しない。また、このテーブルは、この部屋・家屋がないと存在しない。
このテーブルは、人類の長い文化発展によって作り出され、ようやくここにテーブルが在る。
このテーブルの材料はプラスティックが使われているから原料は石油です。石油はどうやって
できたかというと、地球の生成発展から全部に繋がっている。そういうものが一切合切含まれて
ここにテーブル在る。これが在るためにはそれが在る。それが在るためにはあれが在る。
ありとあらゆる物、また何かの現象・精神作用でも、時間空間を含んだ宇宙全部を背負って、
そっくりそのまま「ここ」に現れているのです。仏教ではそのことを「一即一切(いちそくいっさい)、
一切即一(いっさいそくいち)」「一念三千(いちねんさんぜん)」などと言う華厳(けごん)哲学の
中心思想となっています。
このように「縁起の法」によって、すべてのものは時間的に空間的に広がり、関係し合い、
止まることなく流転している「出来事の連続」であると言えます。紙、ここに在ると思っていますが
本当は無い。在るのは、そういう歴史上の流れの一点に紙という人間が決めた言葉の概念が
在るだけで、紙自体はここに無いのです。「 在りながら無い 」としか言いようのない「空」の姿です。
先にそれを「生きているありのままの自分」という言葉で表しました。

○相反する二つの依存関係としての縁起
お釈迦様が亡くなられてから、弟子達がお釈迦様はこう説かれたと言って、でき上がったのが
阿含経(あごんきょう)などの原始経典です。その中に「空」としての「縁起」が説いてあります。
「これ有ればかれ有り。これ無ければかれ無し。これ滅すればかれ滅す。これ生ずればかれ生ず」
そういう縁起の法です。
例えば、山が有れば谷が有ります。山が生ずれば必ず谷も同時に生じます。山と谷というのは、
縁起の法則によって裏腹の関係になっているのです。楽あれば苦あり。楽があるところには、
必ず苦しみが有ります。苦しみを越えない楽は有り得ない。楽だけ追求し、
それにどっぷり浸かっていると、ノイローゼになって自分で勝手に苦しみを作り出すようになり、
それで漸くバランスがとれているのでしょう。
そのように人間の心や体は、山が有れば必ず谷が有るように本来できているのです。
それが縁起の法です。だから、苦しみが来ても平然として苦しみを越えていくことができる
と言うより、すでに「越えている」と言った方が正しいでしょう。
このような「空」の立場に立つと、総ての存在は(精神作用も含めて)相反する二つの
依存関係(縁起)によって成立していることが歴然と見えてくるでしょう。上下・明暗・
生死・快不快・苦楽・色空・・・・・等々。そうして、一方のみにとらわれることなく、苦しみ
を即、楽しみと捉え、楽しみも即、苦しみと捉え、自由自在に生きることができるように
なるはずです。
ここまできて、「縁起」そのものも結局、「空」と相対する概念として捉えることができるわ
けですが、大変複雑になりそうですので別の機会に明らかにして見たいと思います。

○五蘊皆空(ごうんかいくう)を照見(しょうけん)して一切(いっさい)の苦厄(くやく)を度(ど)
し給(たま)えり「空」を照見して、一切の苦しみを越えることができたというのが、この般若
心経の冒頭の宣言です。
全ての宇宙の働き、「空」を本当に捉えることができると、人間もっとおおらかに伸び
伸びと全ての物を生かして、真に生きることができるでしょう。財産だとか、名誉だとか
全然比べものにならない「空」、これほど尊いものはないということを発見されたお釈迦
様は「奇(き)なるかな奇なるかな一切(いっさい)の衆生(しゅじょう)、如来(にょらい)の智
慧徳相(ちえとくそう)を具有(ぐゆう)す」と感嘆されたのです。
たった一つの埃、紙屑一枚、良い物も悪いも物も、きれいな物も汚い物も、宇宙一切合
切をそっくりそのままを含んで、ここに実在している。
したがって「空」とは、何にも無い空虚な姿ではなく、総てのものを生かして働く智慧、
魔訶般若波羅蜜多でありましょう。

心経の最後には有名な咒(真言)があります。これはサンスクリット語の音をそのまま
漢字に当てはめた音訳ですが、相対的な人間の先入観や、言葉の解釈を打破するような力が、
この真言には託されているように思います。従ってこの真言を唱える(行ずる)ことによって、
般若「空」の智慧が身心に如現して来ると思います。般若心経を読誦したら、
この真言の部分だけをひたすら繰り返して読誦してみたらいかがでしょう。

 羯諦羯諦(ぎゃていぎゃてい)    (往けるものよ 往けるものよ)
 波羅羯諦(はらぎゃてい)       (彼岸に 往けるものよ)
 波羅僧羯諦(はらそうぎゃてい)   (彼岸に全く 往けるものよ)
 菩提薩婆訶(ぼじそわか)      (悟りよ 幸あれ)     (中村 元 訳)
別窓 | 平和 | コメント:17 | トラックバック:0 
恐ろしいくらい....お久しぶりです。
2009-11-08 Sun 00:08
ず~っとご無沙汰していたのは、シーズンの忙しさが全然止まらなかったのと
(連日満席、本当に有り難うございました!)

こんな事、思いついちゃって.....脳みそがパンクしていたせいだったのでした。

Zekoo Da Aloha Store

遊びに来てくらさいませ。

晴子(^ー^)
別窓 | Zekoo Hawaii からのお知らせ | コメント:18 | トラックバック:0 
| Zekoo Hawaii LLC /是空ハワイ |
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